9通目:2025年6月9日
「会社を辞める決心をした」
金子へ
なんかやばいな、あなたからの手紙を読んで、死ぬまでこうやって往復書簡できればいいのに、とちょっと考えちゃう程度には、胸がいっぱいになってたまらなかったよ。あなたに会えた人生でほんとによかったな。ずっと私の知らない光を出して宇宙と交信し続けている金子のことが大好き。惑星みたいにきらきらしている(と書いてからもう一回金子の手紙読み返したら金子から私への言葉にも「きらきらしている」って書いてあって笑った)。惑星の「惑」は、まよい、とまどう、という意味だ。迷ってうろついて、でもその軌跡に光があること。「眠る虫」の夜行バスが光になって飛んでいくシーンを思い出す。あなたは迷ってる最中も光っている。こうして隣人の輝きに感化されながら生きていけることは、もしかすると幸福と呼んでいいのかもしれないね。いつも本当にありがとう。金子が「あなたは大丈夫」って言ってくれたこと、大事に胸に留めておきたい。無二の他者がいて、私のために言葉を投げてくれるのがこんなにも贅沢でこんなにも祝福であること、あらためて手紙ってものすごくて、圧倒されるよ。
……「惑星」からふと気になって、「迷惑」という言葉を日本国語大辞典で引きました。
①(形動)(━する) どうしてよいかわからないで途方にくれること。困窮すること。とまどうこと。また、そのさま。②(形動) (━する) ある行為によって、負担を感じ、不快になること。また、そのさま。
前者のほうが用例は古いようで、こちらには鎌倉時代の用例、後者には室町時代の用例などが引用されていた(日本国語大辞典はなるべく歴史上初出と思われる用例を引いている辞典なのです。すごい)。なるほど。つまり極めてざっくりした理解でいうと、「途方に暮れ、困窮している」という言葉に、あとから「不快だ」という意味が加わったということなのかな。これってめちゃくちゃ怖くないか? 困窮したやつは不快だってこと? ←雑な理解かと思われるかもしれないが、幕府法が「飢饉による困窮者が山野河海に食料を求めることを妨げるな」と言い渡した鎌倉時代から、漁業や山仕事を含む生業の保障が領主の役割としてあらわれてくる室町時代への変化は、私は無視できないものだと思うのだ。人が自由に出入りできる場所が減り、逸れた人たちが排斥される閉鎖的な社会の始まりは、私は(地域差はあるけど)鎌倉末期に始まっていると考えている(随分前、そういう修論を書いた)。あ〜〜〜やばい勉強したい! 脳汁!!!!!!(早口)(ここは全然、読み飛ばしてくれて構いません……。)
落ち着こう。前回の手紙から今回の手紙までの間に、いろいろありました。一番大きかったのは仕事を辞める決心をしたことです。もしかするとこの記事が公開される頃にはもう無職なのかな? 詳しくは書けないけれど、まあ、ちょっと自分には会社の方針に沿って船を漕ぐことができなくなってしまった。たくさん悩んだけど、フリーランスの親友Aから「会社があるからって言い訳して手をつけられなかった仕事が、会社辞めるとやるしかなくなってくるから、覚悟決めて働けるよ」と言われて、腹が決まったのでした。しばらくはどこにも属さないままフラフラ仕事しようと思っている。その間に、書きたい本の準備や未知の仕事への挑戦、あるいはもっと金にならないプロジェクトまで、いろいろやってみたい。辞めるって言っちゃったらもう無敵だった。最高! やってやるぜ。
でも全然、前向きなだけではいられなかった。仕事のせいだけじゃないんだろうけど、ここ一ヶ月はかなりめちゃくちゃです。数時間で天気みたいに機嫌がどったんばったん入れ替わって、その落差だけで脳みそがばちばちに弾け飛びそう。ずっと「殺してくれ」という声で充満したぐちゃぐちゃの頭を抱えたまま、動けない身体を床に転がし、ご飯食べたいけど何もできなくて泣いていた。誰かに助けてほしくても、極限まで疲れているともう誰かと喋る力がないから、一人で棒切れみたいになるしかないのです。仕方がないから感じている苦しみを全部SNSに書いてしまう。それしか発散の術がないから。ごめんみんなと思いつつ死にたいよっていっぱい書く。人に見られているところで暴れていると、こころなしか熱暴走の治る速度が少し早いので、そこに期待する。そういえばこの間まで部屋に豆苗がいたんだけど、ろくに光も当てていないのに恐ろしい勢いで伸びまくり、反面私は料理できるような元気がないからそれを刈り取れなくて、ずっと怖い怖い言ってた。やっぱ植物って怖いよ! 切花は匂いがするから嫌いなんだけど、生きてる植物は植物でも生きてる感がすごくて怖い。私の部屋なのに私より命だった。能力バトル漫画では「植物を操る」能力って比較的地味な扱いされがちだけど(伝わるか不明ですが『メルヘヴン』のジャックや『セキレイ』の草野を思い出すよ)、普通に一番怖くね!?と思いました。金子が感じてる植物の怖さもこれと同じ感じ? だとしたらこれを楽しめる金子はすげえ。
この間のバー高島(注:ゴールデン街のバー「ビキニマシーン」で私が店番をする回のことです)には来てくれてありがとう! マジでいい夜だったね。狭い部屋に人があっちこっちで喋るざわめきと笑い声が充満しているのを味わいながら、自分は静かにグラスを洗っていたら、くらくらするほど心地よかった。私のSNSの告知を見てきてくれた人たち、友人たち、新宿の映画祭からそのまま流れてきた映画関係の人たち、お店の常連さん、そういう複数勢力が混ざり合って話が生まれて、意外な人と意外な人がなんか知り合いだって分かったりして、もう、面白かったな。やっぱ人間好きすぎる。無理。存在最高。あまりに楽しかったからまた二週間後にすぐ三度めの店番に立ったけど、この日もまたいろんな人が来てくれて、初めて会う人も2回目・3回目の人もごっちゃ混ぜになってて、楽しかったです。こうやって回を重ねて、場がめちゃくちゃに育っていけばいい。
ぼんやりしているうちに6月になって、そういえばプライド月間(6月はLGBTQ+の権利向上を訴え、存在を祝福する月)だなあと思う。いつも以上にぼんやりしている。虐殺も終わらないし、ヘイトの嵐は吹き止まないし、そんななかでのプライド月間。今年の東京レインボープライドはイスラエルの虐殺に加担する企業をスポンサーから外す英断をしたとのことで、それはとてもすばらしいと思うのだが、それで晴れる気持ち以上に現状の地獄ぶりが胃の腑に重い。ちなみに神戸レインボーフェスタという神戸のプライドパレードでは、「(虐殺などの)批判のプラカードをやめろ」という指示が運営から飛んできたとの報告があった。スポンサーに川崎重工がいたらしい。それをXで見ながら私はやっぱり床に転がって、何もできないまま画面をスクロールしたり、ちょこちょこ来るLINEに返事を返したりしていた。多分ずっと無表情だった。なんだかな。なんだろうね。俺は生きることが時折たまらなくやるせないよ。何ができるんだろう、何を伝えられるんだろう、とずっとうろうろ悩み続けている。うまく言葉になることばかりではなくて、頭に薄靄がかかったままのようにも感じるが、それはそれでしょうがないんだろうね。でも諦めずに考え続けていくしかない、そして「考え続けるしかない」を結論にしないようにしたい。てか「結論」って好きじゃないのによく使っちゃうな。人間が生きていて何かが終わることなんてあんのかな? 本当は何一つ終わらないような気がする。生きてても死んでても、存在は存在していて、人の意志は「ある」。それがどのように見えるか、気づけるか気づけないかというのはまた別の話で、「変化」は実際あるんだろうけど。
東京レインボープライドの日、結局私はデモには参加しなくて(イベントのアティチュードがどうこう、という話ではなく、なんか雰囲気が明るすぎて今参加するテンションにはならないな〜と思ったから)、4回目のバー高島を開催したり、あとは人に誘われて横尾忠則の展覧会を見に行ってきました。横尾忠則のこと、「なんかサイケな油絵の人……?」くらいの認識で何も知らなかったんだけど、めっちゃ面白かった。いろんな人が集まってみんなで一つの和歌の連なりを作り続ける「連歌」という遊びがあるんだけど(中世に大流行した)、それをもとに横尾忠則は「連画」という行為を編み出したらしい。具体的には、最初は一枚の集合写真をもとにした油画を描いて、それを自分で他者化し、そこからモチーフを拾ったりそのときどきの自分の興味関心に合わせたモチーフをぶち込んだりして、どんどん新しいイメージへずらしていく、そういう連作です。なんか最初は普通に実在の人の顔が並ぶ絵だったのが、突然メキシコ風になったり、画面上の人物が幕末の有名人になったり、ポーズやモチーフが急に変わったり、突如安倍晋三の殺害というモチーフが混入してきたりと、異様な転がり方をしていてめちゃくちゃ面白かった。人間というもの自体に揺らぎがあり、人は一本の筋で繋がっているわけではなくて常に何かずらされながら連続しているのだ、みたいな感覚をぎゅっと受け取りながら、でもやっぱり遠くから巨大な連作群を見つめていると明らかに横尾忠則的な色使いのセンスの良さみたいな統一感もどっかにあって、やはり自分は「人が生きること」の魅力としか言いようがない部分に感じ入ってしまう。私はそればっかりですね。でもそれって自分の中ではかなり真理。
私にとって人間というのは常に現象で、それはいつも揺れながら矛盾している。たまたま分子の流れがそういう形に集まっているだけの生物群体=ホロビオントでしかないのだから、一貫するものなんてほとんどないと思う。それでも何かその人をつらぬくものが(私はそれはごくわずかであると信じているが)あるのだとすれば、それは魂の領域にあるのでしょう。「そのように在る」ということ自体はあまり変えられなくて、むしろ「このように在りたい」のほうが魂の一貫性になるのだと思います。金子には、何か自分の中で変わらないと感じるものはありますか? あるのかないのか、あるならそれはどんな形のものなのか、聞いてみたい。
前回の手紙に、「人はどこから演技をするのか」という話があった。これについていろいろと考えてみたのだけど、自分はわりと対外的な演技だけが演技という感じがしなくて、むしろ演技って自分の内面に対しても発生することだと思っているから、わりと「生きるのは演技」って感じかも(町屋良平の傑作のタイトルそのまんまだ)。もちろんすべてがすべて演技ではないけど、なんか「考え方」にはまあまあ「型」があって、その型に自分の思考を嵌めて考えているな、と感じる瞬間ってない? あれって自分自身に対する演技じゃないかな?
私が女子校にいた頃、私は明らかに同級生に恋をしていたのだけど(自分にとってのあらゆるロマンスを相手に求め、想像していた)、私はそれを恋だと思っていませんでした。自分は同性に恋をしている、という思考の流れは、自分の知っている「構築された物語」のなかになかったからです。自分が何を考えようと、それは私の中で言葉にできるものではなかったし、超絶言語優位人間たるわたくしは、言語化していない感情を認知できなかったのだ。それはそこに在るものの無視だった。どっかで「疑う」気持ちもなくはなかったけど、私は私が感じたものをずっと信じられずにいて、むしろ世間の物語の方を信じてしまったんだね。私は私自身を欺き、何よりも私の気持ちに対して一種の演技を続けながら、なんだか妙に長い思春期を過ごしたのです。
バイ/パンの人生において「疑い」は、心臓に突き刺さって抜けない杭であり、長く長く立ちはだかり続ける壁のようなものです。「異性愛」の遂行が可能なぶん、クィア・ロマンスの主体としての己を信じてあげることができない。ほかのクィアから「どうせ『異性愛』へ『逃げる』存在」扱いされたり、いろいろな場所で「本当は異性愛者のくせに、どうせファッションでしょ」「自分が特別って思いたいだけでしょ」と言われたり、というようなことも大いにある。付き合った相手からあらゆる人間関係について浮気を疑う視線を向けられ続けるという話も聞く。自分から自分への疑い、相手から自分への疑い。そういうものとのほとんど終わりない戦いが、バイ/パンを生きることなのかなあ、と感じています。
そういえばバイ/パンが明言されているキャラクターって、物語の中でもほとんど見たことがない気がする。すぐに思い出せる範囲だと、『攻殻機動隊』の草薙素子、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』のノルバ・シノ(オルフェンズはほかにも非-異性愛的な関係が結構出てくる)、『PSYCHO-PASS』の唐之杜志恩くらいかなあ(私が映画やドラマをあんまり見ないたちで、アニメばかりになってしまうけど)。実際、こちらの能動性を求めずにリニアな体験をもたらしてくれる形式の物語よりは、ゲームのほうがバイ/パン的な経験というのはしやすいかもしれないね。たとえば『サイバーパンク2077』というゲームをプレイしていたとき、私はいろんなジェンダーのキャラにアプローチして、ジュディという女性(レズビアン)と、リバーという男性(ヘテロ)と同時並行に付き合っていた。まあ同時並行に付き合って何にも言われないというのはあまりにもプレイヤーに甘いというか、全然リアルではない部分なんだけど、それはそれとしていろんなロマンスが自分のためにあると思えるのはゲームのうれしいところだね。そういう意味では『ファイアーエムブレム風花雪月』も、同性婚エンドについてはかなり不十分ながら好きです。ゲームに限らず、バイ/パンの物語が増えていくことを祈って、今回は締めておこうかな。また近々Podcastを録音しに遊びにいくよ!
鈴より
・ミラン・ケストレルさんの3Dお披露目配信
大好きなVTuberの方が3Dになって本当に泣くかと思った。覇権的なものに対して思うがままにずらしとおちょくりを仕掛け続ける、本当に魂のうつくしい人です。
・占い師もどきを始めた
懇意の占い師に「あなたは占いで稼げると思うからお金を取ってみたらいい」と言われ、最近はお金をもらって占いをしている。かなり当たると言われるので面白い。次のキャリアとして普通にちょっとありかもな(舐めすぎ?)。
・ブレイクマイケース
大好きなゲーム会社、colyのソシャゲ(パズル系)。5月で一周年だったのでかなり頑張ってプレイしまくっていた。音楽もゲームも面白いのだけど、メインの登場人物としてAroっぽいキャラが出てきたりするので、今後のストーリーにかなり期待している。
・精神訪問看護
自立支援を利用して、週に1度看護師さんに来てもらっている。バイタルや薬のことを確認してくれるし家事も手伝ってくれるし本当にありがたみしかない。もっと早く頼めばよかった〜!!
・北野詠一『片喰と黄金』
お友達(眞鍋せいらちゃん)に勧められて読み始めた歴史エンタメ漫画。19世紀末のアイルランドの飢饉を脱して、主人公アメリアと従者コナーがゴールドラッシュに沸くアメリカを目指す物語。まだ読んでいる途中だけど、主人公たちが移民差別に直面する描写などが生々しくて、今読まれるべき作品かもしれないと強く感じた。面白い!
金子由里奈(かねこ・ゆりな)
1995年、東京都生まれ。映画監督。
立命館大学映像学部卒。立命館大学映画部に所属し、これまで多くのMVや映画を制作。
自主映画『散歩する植物』(2019)が第41回ぴあフィルムフェスティバルのアワード作品に入選。
長編『眠る虫』はムージックラボ 2019でグランプリを獲得。
2023年に『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が公開。
高島鈴(たかしま・りん)
1995年生まれ。ライター、パブリック・ヒストリアン、アナーカ・フェミニスト。
著書に『布団の中から蜂起せよ』(人文書院)、共編著に『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)がある。
現在は小説「ゴーストタウン&スパイダーウェブ」(太田出版)をWeb連載中。
『底に見えるあかり』
高島鈴・金子由里奈
祈りは無力じゃない
しゃがみ年
どんな罪を犯した人間だって存在を否定されていいと私は思わない
ベンキョは続く
「いつになったら私って落ち着くんですか!?!?!?!?」
「Blowin' in the Mind」