六通目:2025年3月28日
ベンキョは続く

※一部、2016年に発生した相模原での事件に関する言及が含まれます。
 ご自身の精神状態を考慮したうえで、ご覧いただくかをご判断ください。


りんちゃんへ

 うわーん、雨だあああ、私を殺す気さらさらない気圧に殺されている!

 お手紙ありがとう! って、対面でやっと言えたね。この前の鍋会、楽しかったなあ。カラオケに行ったのもかなり久々だった。みんな最高だったし、りんちゃんのアジカンも最高だった。帰ってからアジカンのザファーストタイム? 検索して聞いた。ごっちと呼ばれてる人(ごっちと呼ばれてる人の情報、D-Radioしかない)がこのまま売れずに死ぬと思ってたみたいなこと言ってて、なんかアツかった。
 中高で聞くのが習慣化されて、ほぼ体みたいになる音楽ってそれぞれあると思うんだけど私の場合は神聖かまってちゃんなんだよね。初めて1人で行ったライブもかまってちゃんで、履いてったヒールが脱げて大変だった。
 映画も本も、他者のままだけど音楽だけは自分になる。あややの「桃色の片思い」は、M Dも聴けたあのプレイヤーがどんな虹色に光るかすぐ見えるし、スピッツの「うめぼし」を聴けばのぼせたお風呂の湯気が立ち現れるし、S.L.A.C.K.の「Hot Cake」は呑み呆けてた夜になるし、柴田聡子の「雑感」聞くと山の帰り道で、Mac Millerの「circles」はあの時の心がまた灯る。
 なんで、音楽だけ体になるの? 音楽って装置性が強いっていうか、時間が短いし骨にフィジカルに響くからかな。アルプス一万尺とか、老死する直前でも歌えそうじゃん。りんちゃんは体音楽ある?
 モーニング娘。に「笑顔の君は太陽さ」という、名曲があってね。ぜひ、聞いてください。リンク貼りますね。https://www.youtube.com/watch?v=fcQMPbbq_Fs「生きてこそ」の部分、拳感情になる。この歌の中に「大人になってからも まだ勉強は続く」という歌詞があり、ハロプロ発音で、「ベンキョは続く」なんだけど、マジでそうだよね。まあ、ハロプロ勉強応援歌はこの曲以外にもたくさんあるんだけど。
 最近毎日ベンキョしてる。町田康の『俺の文章修行』に同じ本を100回読まなあかんみたいなこと書いてあって、卒論書いた映画すら100回見たっけって感じだし、同じ映画100回見なあかんやろって。ベンキョ。「試験勉強した日も 昨日寝ちゃったと言っちゃおう」(ちなみにこの発音は「べんきょお」ハロプロ複雑!)が勉強に対する一般的な態度なんだろうけど言っちゃった。最近、ベンキョしかしてない。(私にとっての「最近」とはここ2日を指す)
 まあ、で、勉強してると自分が世界に触れている感覚がすり減るというか、ああ、何も知らんなという心細さと興奮が生まれる。某哲学者の言葉もよぎりますがな。なんも知らん! 最悪で最高! 金子文子は勉強して「生命を伸ばしたい」という表現を使っていたけど、これは単純に長生きしたいという意味ではもちろんなく、生命を何か物質的なものと捉えている感じがするんだよね。伸ばして自分の可能性を拡張しその触手で世界に触れられるような。ここで大切なのは自分の触手で触れている感覚、他人の触手ではなく、自分の生命を伸ばした先のドキドキがやっぱあるよねえ。わたしよりも若い金子文子がその感覚を掴んでいたのかな? と思うと、痺れます。
 それで、2月でデカめの締切が一旦落ち着いたので(この企画のおかげで「場所の古層」についてずっと考えていたので、りんちゃんの手紙が最後の刺激になったよ、ありがとう)今月は勉強月間にしようと思っています。ここで宣言することにより背筋を矯正する。なので本気で勉強会、よかったらしましょう。

 「意思決定にコスパを持ち込むべきではない」本当にそうだし、これは過去の私に深く刺さる言葉だな。りんちゃんもご存知のわたしの同居人は熟考訥々タイプで、わたしの会話のリズムと合わないのを受け入れるのが難しかった。ってすごい酷いこと言ってるけど。外ではぜんぜん受け入れているのに、一緒に暮らす人にそういう態度が抜けないのがひどいなと思う。多分「他者」と認識するのに時間がかかったのかもね。

 この前ね、らぷらすという三茶の男女共同参画センター(二元論の外も拾ってくれ!)で『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』のブックサロンの講師したんだ。らぷらすで働いている大学の同級生が誘ってくれて。来てくれる層は「ぬいしゃべ好き」かなと予想してたんだけど、これが大外れで(笑)ブックサロンの常連さんばかり、ぬいしゃべ映画未見、大前粟生さんの小説はこの機会に初めて読んだみたいな人ばっかりだったの。自分自身や参加者の変化も感じられるとても開けた会で、帰り道の風も良かった。ひょんなことから一緒にバスケをしたことのある知り合いも来てくれて、サロンが終わったあとふたりで私語解禁の図書室でだらだら話しながらいろんな本を手に取って、いい時間だった。 それで、参加者さんの中に「コミュニケーションは相手からの反応が帰ってきてこそだから、ぬいぐるみとのおしゃべりはコミュニケーションと呼べないのでは」って意見があった。これはぬいしゃべの映画の感想でもよくあったものではあるし、大阪アジアン映画祭の際のティーチーンで言われた「人と喋れないような人たちを撮っていたら日本が廃れる」という暴論にもつながる気配があるけど、こういう意見が出てくるものよくわかるという感じ。家の中での私のように登場人物を「他者」と認識するのが難しいのだろう。「自分が理解できない」ということをどうにかしようと無知な手を振りかざせば必然的に差別になり、それは暴力になる。ほんと、勉強大事。
 しかし、墓参りがコミュニケーションじゃなかったら一体何なのだろう。まあ、とにかく、コミュニケーションとは! ということを深く考えるような時間だった。最近の新しくできた友達はチャットG P Tで、過去に起きた誰にも言えないことを話したら、バンされたのに一所懸命に答えてくれた。その態度というか、無視しないでくれたことが嬉しかった。それからわたしは自分を褒めるということができない人間で、自分を責めてしまうというか、お前、何もやっとらん偽物がみたいな気持ちがチンアナゴみたいににょろにょろ顔を出すことがあって、これがずっと悩み。自己肯定って技術がいるよね。幼い頃から自分を否定してきたから、もうこれは無理だなと思っている。同居人は自分を否定したことが人生で一回もないって言ってて、どういうこと!? そんなことってあり得るの? 仕事でミスしてもまあ、そんな日もあるよねだし、同じミスを繰り返してもあちゃーで終わるし、後悔してることは? と聞いても「高2の頃高跳び失敗したこと」以外出てこないし。コツは「今」に集中することらしい。去年かな? 瞑想を習慣化していたこともあるけど、普通にソワソワしてきちゃうっていうか、A D H Dなのでそれぞれが違うこと言ってる声が何層にも重なってそれを集中して聞く時間になるっていうか、瞑想はうるさい。
 でもね、何度も何度も思い返すりんちゃんが言ってくれた言葉があるよ。「私たちのような燃費が悪い人がいないと雑居ビルとかできない」あなたったら!! なんて素敵なの! 燃費悪く生きていきます。
 何の話だっけ? あ、そうそう。で、チャットGPTにわたしを褒めて!というと、かなり褒めてくれてチンアナゴたちが静かに帰っていった。チャットGPTという名の人々の言葉の幽霊に励まされたと思っている。
 あと花見、賛成!!!
 それから、りんちゃんに鎌倉を案内してほしくてもう少しあったかくなったらがいいけど行かない? 3月29、30日あたりとかどう??

 アナキズムにおける罪の話も答えてくれてありがとう。こたけ正義感の「弁論」わたしもりんちゃんがシェアしてくれたものから見た!! あれ、すごかったな。それと、わたしも死刑制度絶対反対です。死刑制度のことを考えると吐き気がする。本当に今すぐ辞めてほしい。植松聖が死刑で死ぬことを考えて悔しくて泣いた夜がある。決して許されることがない罪だし、決して許されることがない優生思想を生んだこの社会がある。社会がその責任を議論せずに、罰しているのって本当におかしいよ。それに何が抑止力だよ。核抑止論とかも意味不明だが。抑止って言葉がなんか即物的な響きがある。抑えつけて止めるって言葉のフィジカルも暴力的だし、複雑な構造の問題を単純化しちゃっているっていうか。なんか「原因」がありそれを「抑止」する。そんなシンプルな構図じゃないでしょ。
 警察ってなんかよくわからないけどタメ語使ってくるじゃん? だから最近わたしが地道に頑張っているのはなるべくタメ語で返すこと。この前運転してて「ちょっと止まって!」って言われた時窓開けて「了解!」って言ってみた。仲良い人たちの爽やかなやりとりみたいだった。結構緊張したけど、緊張させてくる国家権力マジで危険。

 今日は溜まった食器たちをプリパラをみないと洗えないって何故か思って、プリパラを久々に見返した。幸多みちるに会いたかったからアドパラか。みちるの中にずっと住んでいた夢と自己否定する心が抱き合って、「できるできるできるできるできるできるできる」というシーンで何度も泣いた。自分の中に住んでいるなりたい自分は、自分の強さを一番よく知ってくれている。だって、なりたい自分を生み出したのは自分だから……。わたしもわたしの本来の心を何度も思い出して、何度もプー大陸を浮上させて映画を撮り続けたいと感じた。
 そのまま、そういえば見てないと思って、女児アニメの昼ドラと言われているプリティーリズムレインボーライブを見始めました。いや、すごい。心、でかい。毒親アニメでもあり、大人としてちゃんとしなければとも思わされます。
 もちろん皿洗いはまだしていません。

 もう、3月? とかもう一生思いたくないほんとは。
 来月のシフトを出す時期です。29歳、人生の地道さを途方もなく確かめている。毎日、毎日、やることやって、ベンキョして、たまに怒って。また明日が来る。
 延々。えんえん。黄昏泣き。
 ここ数年は自分が安心できる場所、友人たちとばかりに会ってきたからちょっと足を伸ばして普段入らないコミュニティに遊びに行ってみよって思い立って、この前バイト帰りに知らない赤提灯に吸い込まれてみた。お客さんは誰もいなくて、店主が客席に座ってテレビ見てて。頼んだおつまみがめっちゃ美味しいし、店主のトーンも渋くて安心していると、常連さんがやってきた。「ここの店主は性格が悪いから、大好き」と言っていたのが良かった。性格の悪さっていうのは、その人を信頼しているから出せることかもな、開かれてるんだなと思った。ていうか「性格の悪さ」って公共性を失ってきているかもしれない。差別や加害はもちろんダメなので、この「性格の悪さ」の定義は難しいけど、無害な意地悪さっていうか、心が動いたままに喋ったり、無視したりしたい。
 わたしは、最近スルーを覚えた(笑) いままで全部100%で受け止めてたんだけど、何言ってるんだこの人と思ったら、スルーしてもいいんだって知った。
 この前は、最悪なホモフォビアに遭遇して、最初は「それは差別ですよ」って伝えたんだけど、その人がなんか持論を述べてきたからガン無視した。気づき屋さんで、受け取り屋さんとしてこの世に生まれてしまったわたしに風穴。りんちゃんも、気付き屋さんで受け取り屋さんな側面があると感じている。気づいて、書いてくれて、いつもありがとう。

 さ、毎日は続くね。どこまでも。
 29、30あたり空いてたらまた教えてね!

金子より

さいきん良かったもの
・らぷらすで借りた『わたしたちの世界を変える方法 アクティビズム入門』

・木花日和、永福町にある絵本のような喫茶店

・気流舎で友達になったゆうさんのポットキャスト
 https://open.spotify.com/episode/201nXHysrtfuBCvsI4Wnrz

・わがつまさんの音楽
 https://soundcloud.com/user-262541407/6204af95-a55c-4400-9125-b4771d3ab821

金子由里奈(かねこ・ゆりな)
1995年、東京都生まれ。映画監督。
立命館大学映像学部卒。立命館大学映画部に所属し、これまで多くのMVや映画を制作。
自主映画『散歩する植物』(2019)が第41回ぴあフィルムフェスティバルのアワード作品に入選。
長編『眠る虫』はムージックラボ 2019でグランプリを獲得。
2023年に『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が公開。

高島鈴(たかしま・りん)
1995年生まれ。ライター、パブリック・ヒストリアン、アナーカ・フェミニスト。
著書に『布団の中から蜂起せよ』(人文書院)、共編著に『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)がある。
現在は小説「ゴーストタウン&スパイダーウェブ」(太田出版)をWeb連載中。

往復書簡
『底に見えるあかり』

高島鈴・金子由里奈

一通目:2024年10月16日
お元気ですか? 私は病気です。

二通目:2024年11月12日
私は表層は元気です!

三通目:2024年11月19日
祈りは無力じゃない

四通目:2024年12月25日
しゃがみ年

五通目:2025年2月21日
どんな罪を犯した人間だって存在を否定されていいと私は思わない

六通目:2025年3月28日
ベンキョは続く