一通目:2024年10月16日
お元気ですか? 私は病気です。
金子由里奈さま
お元気ですか? 私は病気です。
年に一度の会社の繁忙期を迎え、これ1日で2日分仕事してないか? と思うレベルの残業を含む11連勤をどうにか勤め上げた結果、まんまと膀胱炎になりました。もう不調は寝てれば治るような時期は終わったんだなあと実感しつつ、ちまちま抗生物質を服用しています。やるべきこともやりたいことも山積みなのに、そういうときほど身体がついてきてくれない。不健康な人間がアラサーになるとこういう事態になるんだなあ。お互い身体を大事にして、長くやりたいことができるといいよね……。
さて、冒頭から病気の話をしてしまいましたが、ついに待ちに待った金子との往復書簡が始まることに、私はとてもワクワクしております。武蔵小金井のぼろい木造アパートで一緒に貧乏暮らししていた頃、お風呂に貼ったらくがきポスターとおもちゃのクレヨンで、われわれは文通していたよね。あの頃はお互い今よりずっとくすぶっていて、映画の企画も本の企画もそれぞれ通らず、できることもなく、椅子の上に立って踊る日々でした。その毎晩の慰めを交換していたあの頃のことを、今も大事に思い出しています。私が落ち込んでいたら、金子がポスターをはみ出してまで私に応援の言葉を書いてくれた日もあったよね。私は「ここ賃貸なんだけど!?」と思いながら、ちょっと泣きそうになるくらいうれしかった。あのとき何て言ってもらったか、具体的には覚えていないけど、何にしがみついていいかもわからなくて必死だった時期に同じようにもがくあなたがそばにいてくれたこと、本当に感謝しています。
さて、最近はいかがお過ごしですか。生活、どうですか?
多分この手紙が公開される頃には、私たちはそれぞれ29歳になっていることでしょう(読者の方向けに説明すると、私たちは二人とも10月下旬生まれで、誕生日は3日違いなのです)。高校の学年全体LINEグループが久しぶりに動いて、三十路の会をやらないか、という話が上がっていました。もうそういう年齢だなあ、みたいなことってあんまり考えたくないけど、考えてしまうよね。学年LINEの参加者一覧をふと見てみても、もう苗字が変わっているせいで誰だか分からない人がいっぱいいた。結婚・出産をまるっきり拒絶している私にとっては、複雑な気持ちになります。もちろん自分で選んだ道なので、それでいいんだけど、いいんだけど、「そこ」に追いついていけない自分のことがたまにみじめになる。かなり極端にものを考えるのが好きな私ですらそう感じるんだから、世間ではまだ恐ろしいほど異性愛規範の抑圧が働いているんだなと日々思います。
夏くらいまでパートナーが欲しくてたまらなくて、占いに飛び込んで「どうにかなりませんか」と問い詰めたりしてました。金子にも紹介した下北沢のA先生ね。A先生は「無理ですね」「孤独は開き直るしかない」「あなたは恋愛より仕事で輝く人だから」とはっきり言ってくれて、それでもやっぱりどうにかなりたくてめちゃくちゃになっていた。私はロマンチストなので、自分を排他的に大切にしてくれる誰かに気持ちを委ねて、それで楽になりたかったんです。とにかく誰かに許してほしかった。金子にも何度もその話をして、「わかるよ」って言ってもらったよね。すでに友達がたくさんいるはずなのに、どうしても心の穴が埋まらない気がするのが悔しいということ、それ自体に対して、あなたは共感してくれた。疲れ切った夜のジョナサンで手を握ってくれて泣きそうになったの、ずっと忘れられないと思う。
でも8月くらいにものすごく心身の調子を崩したあとくらいから、なんだか全部どうでもよくなってきたんだよな。健康状態があまりにひどいから、生活を立て直すこととそれに合わせてどうやって仕事のバランスを取っていくか、それらについて考え始めたら、もう自分の中に他人を求める気持ちの波が立たなくなっていったのだ。「28歳 年収 平均」で検索しては落ち込んでしまうくらいのお給料や、毎月のようにやってくる不調、それでも自分のために著したい文章、それぞれのためにエネルギーを割いて、そしたらもうあんまり何も残んないかもって。いや、それだけじゃないな、多分、改札前の友人たちのことをちゃんと考えるようになったから、っていうのも、あるかもしれない。
最近わかってきた。改札前でぎゅっと手を握って、「また遊ぼうね」って言ってくれた人がいた。違う路線なのに改札前まで送ってくれて、改札抜けたあとも「高島さん!」って声出して呼んで手を振ってくれた人もいた。すっと片手をこっちへ差し伸べて、ハイタッチしてくれた人もいた。もうちょっと記憶を遡ると、改札前で私のことを抱き上げてくるくるって回ってくれた人もいた(普通に足が浮いて、スルメイカを干すための回る道具にそっくりでした)。
そういう日、電車に乗りながら、私はずっとにこにこしていると気づきました。人もまばらな長椅子に腰掛けて、私は素直に「いい日だったな」って思っている。電車が揺れて、暗くなった最寄駅の風景が流れてきて、速度がゆっくりになって、止まる。降りて、改札を抜けて、また改札前で握った手や振った手について思い出しながら、真っ暗な街に戻っていく。その余韻が寝るまできちんと続くなら、本当に自分はパーティーの中にいるんじゃないかと思った。自分がずっと入れないと思っていたパーティーは、すでに自分と友達の間に小さく存在してて、それが2週間に1回くらいぴゃーん!って弾けて、それに私はかなり満足しているのだ。
大人になって、十代の頃みたいに気軽に友人に抱きつくこともできなくなったけど(なんでだろうね)、今はこういう別れ際のちょっとしたふれあいが私にとってはすごくうれしいんだと、骨で理解できてきた気がする。私なんかがうれしがっていいのかな、という気後れが、大人になったらちょっとずつ抜けてきたのかもしれない。私って、友達に別れを惜しんでもらえるくらい愛されてるんだ! そうじゃん、だって私も友達と別れるとき寂しいし! それって許しじゃん!
そう思ったら、ちょっとだけ孤独に起因する希死念慮が遠ざかった、気がする。今ももちろん変わらず具合が悪くて、自分が許せなくなる夜はとてもしんどい(仕事がうまくこなせなかったり、コミュニケーションがうまくいかなかったと感じたりしたときは特に)。けれど、それをロマンスで繋がった他人に預けようとは、今はあまり思わないのです。それよりは、ちゃんとやりたい仕事をして、まだ見ぬ読者のために二冊目を頑張って書きたい。それがまたどこかの改札でお互い力いっぱい手を振りあえるような、新しい友人を作るための近道だと感じているから。
……まあそう思うようになったのはほんの二か月前なので、またすぐ気分が変わるかもしれませんが。そう思ってても孤独は孤独として「なくなった」わけでは全然ないし、なにしろこれから冬なんでね、冬季うつもあるしね……。
冬と言えば、人が冬に死ぬようになったのは、わりと最近のことらしい。戦での怪我なんかを除いて、中世人はどの季節に多く死ぬのか、ということをお寺の過去帳から検証した田村憲美さんという研究者がいて(「中世人の〈死〉と〈生〉 死亡の季節性と生活条件」という論文です/田村さんは今年交通事故で亡くなってしまって、それは私にとってはかなりショックな出来事だった。お会いしてみたかった)、そこでは「中世人は春に死ぬ」という結論が出ていました。秋に溜め込んだ食料を冬に消費し、それが尽きて、気候が大きく変動した春に、人は力尽きて死ぬのだそうです。ちなみにこれは庶民の話で、食料供給が安定している貴族層だと冬に死ぬ人の方が多いらしい。要するに現代において冬に死ぬ人間が最も多いというのも、ひとまず栄養面が確保されている場合に人間は冬に死にがち、ということなんだろうね。
なんか四季って持ち上げられがちで、たとえば「日本には四季がある」みたいなことをやたら「日本」固有のことみたいに言い張る人はいるけど、こういう話を見ていると、四季がなければ生き延びた人がどれだけいただろうと想像したくなる。私も気圧の変化で吐き気が出る体質で、年によっては冬の間毎日嘔吐しているし、金子は金子で季節の花粉に年柄年中悩まされているよね。もちろん現実に季節がなくなる事態が本当に来るとすれば、それはとんでもない気候変動の結果だろうし、そうはなってほしくないんだけど、やはり「四季=すばらしいもの」的な価値観はマジで意味がわかんない。人を殺すものが美しかったとして、それを情緒だけで受け止めていいんですかね?
回り回って、情緒は人を殺すものでしょう。最近、中野敏男『詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」』という本を読んでいます。読み始めたきっかけは、詩歌の戦争責任を問うた清家雪子の大作マンガ『月に吠えらんねえ』を再読して、これは副読本が欲しいなと思ったからだった。
『詩歌と戦争』によれば、戦争に向けて「愛国心」を「国民」に植え付けようとした国家は、子どもたちが受ける「唱歌」の授業に愛国心を煽る歌をたくさん取り入れて、トップダウンの愛国教育を試みたという。「我は海の子」とかはその代表例だね。だけど一方で、「ふるさと」を思う気持ちというのは、故郷を離れないと生じづらいものだから、生まれてからまだ日が浅い子どもたちに向けて上から「ふるさと」への愛慕を教えるのはかなり難しかった。
それに対して白秋は、故郷を思う気持ちとは、人が(「母性」を求めるように)「自然に」抱くものであって、子どもの方がむしろその「本質」を掴んでいるはずだ、と考えたらしい。なので白秋は「唱歌」教育を批判する形で、より子どもに親しまれるような童謡――「母」や「故郷」を慕うもの――をたくさん作ったんだって。結局「愛国心」を本質化した理論と、情緒を言語化する白秋の技術は、戦争詩のためにフル稼働することになった。まだ読んでる途中なんだけど、この本めちゃくちゃ面白い。
「情緒」の危うさ(あくまで危うさであって、情緒の全部が常に悪いとは思わないよ)について考えていると、自分の中でいろいろまとまらない考えがあると気づきます。
一方では、私は情緒に依拠した共同体をものすごく忌避している。もともとこの列島社会では、雰囲気やその場のノリが支配的で、特定の空気に対して特定のリアクションをすることが要請されるよね。そういうのはすごく嫌いだなと感じる。小学生の頃、林間学校でクラスの女の子が全員夕食のメニュー選択を誘い合わせて同じものにしていたのに、一人だけ全部違うメニューを選んでハブられたこと。部活の合宿でみんなで手を繋いでジャンプして写真撮ろうって言われて理由もわからないままとにかく逃げ出したくなった十数年前の夜。全部そうです。
ただ一方では、情緒的なもの(注釈が遅くなったかもしれないけど、ここで言う情緒は広義のemotionではなく、何かに触れた結果として気持ちが動くこと、という方の意味で読んでください)に身を委ねられたらいいのにな、とも思うことがある。
「突然海に行けるか問題」っていうのが、自分の中であります。「今から海行こう!」って言われて、「いいね、行こう!」って言えるか、それだけの話なんだけど、私は今に至るまでその「いいね、行こう!」が言えないことに悩み続けている。だって海でしょ、今から? 何時に帰るつもり? 風も水もべたべたするし、靴下の替えもないのに、砂まみれになったらどうすんの? ……そういう「帰り道」のことを考えだして、私はどうしても勢いやその場のテンションの盛り上がりに乗れないのです。あのときノリでイエスと言えていたら、って思うことがいっぱいあって、私はそのせいで今も自分が過ごした十代に対してなんとはなしに不完全燃焼感を持っている。後悔はしていないけど(なぜなら私は何かを選択した当時の私が常に必死だったことを知っているから)、いわゆる青春みたいな経験ってほとんどなかった気がするなあ、みたいな感じ。まあ青春なる概念の最近の持ち上げられ方には、またそれはそれで思うところがあるけどね。
金子にとって「雰囲気」ってどういうものですか。アバウトだけど、映像を作る人としての金子が、場の空気のようなものをどう受け止めてどう画面に収めているのか、あるいは撮影現場という集団の中でどうやって空気を受け取っているのか、聞いてみたいな。
さて、話がいっぱい脱線しました。初回はこれくらいで一旦まとめておこうかなと思います。質問もしたし、自分の考えをとりとめなく書いたけど、全部に応答しようとしなくていいし、文字で応答してもらう必要もないからね! 私に言いたいことを、言いたい形で自由に書き送ってもらえるのが一番うれしいです。手紙ってそういうとこが好き。応答の曖昧さ。
では、どんな形であれ、お返事待ってます。お互いに身体を労わろうね!
高島鈴
おまけで、最近触れたコンテンツとか、うれしかったことについて簡単にメモをくっつけてみようと思う。金子も同じことしてくれてもうれしいし、しなくてもいい。
・「ポケモンスナップ」(ゲーム)
いろんな場所を探検して野生のポケモンを撮影するゲーム。何も考えずにプレイできる簡単なゲームがやりたくて、これに辿り着きました。背景のグラフィックがきれいで楽しい。
・藤高和輝さんの新刊(『バトラー入門』『ノット・ライク・ディス』)
10月12日に藤高和輝さんとイベントがあって(金子来てくれて本当にありがとう/あの夜は本当に楽しかったね!)、それに合わせて読み返して、やっぱり最高だった。藤高さんの文章は最高だから、まだ本になっていない雑誌掲載の論考もまたまとめられてほしいなあ。
金子由里奈(かねこ・ゆりな)
1995年、東京都生まれ。映画監督。
立命館大学映像学部卒。立命館大学映画部に所属し、これまで多くのMVや映画を制作。
自主映画『散歩する植物』(2019)が第41回ぴあフィルムフェスティバルのアワード作品に入選。
長編『眠る虫』はムージックラボ 2019でグランプリを獲得。
2023年に『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が公開。
高島鈴(たかしま・りん)
1995年生まれ。ライター、パブリック・ヒストリアン、アナーカ・フェミニスト。
著書に『布団の中から蜂起せよ』(人文書院)、共編著に『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)がある。
現在は小説「ゴーストタウン&スパイダーウェブ」(太田出版)をWeb連載中。