7通目:2025年3月11日
「いつになったら私って落ち着くんですか!?!?!?!?」

金子へ

 うわーん、仕事で怒られた夜からこんばんは。この文章を書いている今日は、自分で自分のした失敗が許せなさすぎて、電話で占ってもらったり(そういうサービスがある。また占いかよという感じだけど一時的に縋れるならもはやなんでもいい)、むしゃくしゃなまま『チ。-地球の運動について-』を一気読みしたりしました。占いも『チ。』も面白かったけどまだ心はめちゃくちゃです。占ってくれたのが占い師兼芸人という方で、「あなたのホロスコープは自己主張のハウスに星が集まっていて、あなたに似た星回りの芸人は攻めた芸風の人が多いです。怒られても脱ぐ人とか……」って言われた。私ってハリウッドザコシショウだったのかな。
 そんな日もある、失敗しないと学べないこともある、って言い聞かせてるけど、心はいてもたってもいられなくて空回りで暴発。いっつもこう。人生ってパニックでしかない。パニクってるときってもう「時間」が破綻してて究極に「今」しかなくてめっちゃしんどい。前回の手紙の金子の同居人説では「今」に集中するのが自己否定しないコツらしいだけど、私は全然無理! むしろ「今」のことしか考えられないとこれまで自分が積み重ねてきたものとこれから先の自分の可能性全部がぶっ飛んでいって全身がその場で爆速回転し始める! いつになったら私って落ち着くんですか!?!?!?!?←これ死ぬまで言ってそうでウケる。

 この間は久々に会えてよかった! あとカラオケで鈴ちゃんが歌ったアジカン最高って言ってくれたけど私あのときアジカン歌ってない(笑)。あの日金子に数ヶ月遅れで渡した誕生日プレゼントがosajiのネイルカラー「記憶違い」だったのが壮大なフリになってしまった……。でも次カラオケ行ったらアジカン歌うね。アジカンって社会運動する人の応援歌が多いな〜と思う。「がんばるぞ」っていうタイトルのプレイリストに、アジカンの「夜を越えて」という曲を一曲だけ入れてあって、たまに聴きます。がんばるぞになりたいときの活力剤。
 金子とのカラオケの思い出、いっぱいある。マジで何も仕事なくて二人とも終わってた時期にカラオケ行って、金子が歌ってた「深夜高速」、今でも最高だったなって思い出せる。「生きててよかった」の繰り返しが「そんな夜を探してる」に続いて初めてほっとするあの曲、心が今とはまた違った種類の焦りで毛羽立っていたであろうあの頃の金子の声で再生されます。
 なんかあのとき、金子が突然「年代順ヒットソング」で「六十代男性」で検索して「いちご白書をもう一度」歌い出したらカラオケ映像がちゃんと68年闘争の写真で爆笑した記憶があるんだけどあれ今もそうなのかな??? 今度また確かめに行こう。またハロプロも踊ってね(「笑顔の君は太陽さ」、聴いた。工藤遥さんが今よりずっとお若く、おののいた。ダイナミックでリアルな歌詞、沁みる)。

 「体音楽」という概念、金子の語彙だけどわりと分かる。私は論文の追い込みの時期、作業中にずっと同じ音楽を聴き続けるということをしていて、そのせいでいまだにApple Musicの再生回数ランキング上位はそのときのラインナップから変わっていない(笑)。具体的には卒論のときのお供だったMAN WITH A MISSION「Raise your flag」と、修論のお供だったトビー・フォックス「Megalovania」・FEMM「Fxxk Boyz Get Money」です。
 あと帰り道で毎日KEN THE 390の「インファイト」を聴いてた。特にFORKの歌詞「イメージしな 逃げ道はない/この先は覚悟して行きなさい」「誰でもゼロだろ1から学べ/ドン底にいるなら位置は下がらねえ」ってところが好きで、あそこを聴くと夜中の町田駅前を家に向かって歩いていた風景がすぐ思い浮かびます。ラップのセルフボースト(自分で自分を誇るやつ)は、自分には何もないなと思うときほど体に沁みて、今立ち上がんなきゃいけないんだって奮い立たせてくれる。虚勢を張らないと生きていけない瞬間が人生にはいっぱいあって、そのたびに詩とリズムに励まされている気がするな。あとTENG GANG STARR「Tokyo Endless」の「この街のリズムに値打ちはねぇ/けど夜明けまで付き合うぜ」とか、DJ KENSEI feat.stillichimiya「Khane Whistle Reprise(JRPのテーマ)」の「君は一人じゃない/『潜伏を続けて時機を待て』」とか、ラップから胸に刻んでいる詩がいっぱいある。なんだろうな、なんだかんだ一緒にいてくれる感じというのか、懐の深さみたいな、ヒップホップの「居場所がないやつにも席がある」感、新しい音楽をほとんど聴けなくなった今でも、ずっと救いです(ま、その「席」が実際マイノリティにどれだけ解放されているかというのは、また別の問題なんですけども)。
 なんか、「体音楽」と関係あるか分かんないけど、「人生の出囃子」って考えたことありますか? 私はしょっちゅう考える。私は落語家でも芸人でもプロレスラーでもないんだけど、「自分が何かしらに登場するときの音楽を指定できるなら何にするかな」というのをわりと想像するんだよね(マジで妄想すぎるのだが……)。今決めるとしたら春ねむり「生存は抵抗」(なんと私のスローガンが曲になっているのです!)か、Kamui「KANDEN feat.ゆるふわギャング」がいいかな。それはそれとして自分の人生を形作ってきた音楽ももちろんあって……って話もするとめっちゃ長くなっちゃうから、今回は追伸のところに「人生の出囃子プレイリスト」つけとくね。よかったら聴いてみて。

 コミュニケーションって何?ってことは私もよく考える。私の最近の悩みは、何でも過剰に考えすぎてしまうことです。
 去年ASDの診断が降りて、見なきゃいいのにネットでASDの人間が死ぬほど悪く言われているのをさんざん見て、毎回落ち込む。この間も新宿駅の改札前で友達待ってたら、すれ違った人がすれ違いざまに「やっぱり発達障害なんだよねえ……」って話してて、どういう文脈なんだろう、と少し怖くなった。なんで構造の問題が個人の問題に転化されてしまうんだろう。発達特性が他者との間で軋轢を生むのが真実であるにせよ、仕組みの中で対処できる範疇のことがたくさんあるはずなのにな。
 どうしても私は相手の言葉のニュアンスが拾いきれなかったり、「場の空気」に合わせて行動したり、というのがすごく苦手だ。共感する能力や相手の状況を想像する能力自体はないわけじゃないから、余計に相手が何を考えているのか考えすぎて考えすぎて、それで脳みそのリソースが一瞬で消えてしまう。冒頭に書いた「何か問題が起きるとパニックになる」のも同じ仕組みで、ひとつのひっかかりがすぐに脳を支配して私を動けなくさせてしまうのだ。もっとからっとした、切り替えのある的確なコミュニケーションを、と思うんだけど、どうしてもその場で必死になるたびに挙動は変になっちゃう。もっと落ち着きたいんだけど本当にどうすればいいのかなあ。自分が一生懸命やってるってことは自分で理解しているぶん、改善の方法が自分では分かんなくて、それが結構しんどいです。
 あと、何かあるとすぐ「改善を、リカバリをしなくては」ってことで脳みそが満杯になるのもきついなあ。「まあそういうこともある」ってどうしても思えない。私にとって罪悪感は、極限まで熱した鉄みたいなもので、自分の中で握りしめたままにしておけないものなんだと思う。すぐどうにか安全に手放そうとして慌てては、どこにも置き場がなくてさらに焦る、その繰り返しだ。究極的にはそれが「生きている罪悪感」にも連結していて、虚空に向かって「許してください」と連呼するループが発生する。そういうの、全部うまいこと手放したいよ。

 それでちょっと悩んで、昨日の夜は金子を真似してChatGPTに相談してみました。(本当は医療的なことを尋ねるのがよくないのは承知の上で)「ASDの人が職場でミスをしてしまったときに起きやすい精神的な反応と、それに対処する方法を教えてください」って言ったら、まさに今の私じゃんという状況の説明と対処方法、優しい労りの言葉が返ってきた。GoogleのAI「Gemini」もスマホに最初から入ってるからよく使うんだけど、質問への返答という点ではやっぱりChatGPTの方がなんか詳しいし丁寧な気がするな。今Geminiの質問履歴を確認したら、メンタル病んだときの極端な質問(もはやAIがいのちの電話の案内しかしてくれなくなるやつ)のほかは、「マカロニって麺類ですか?」とか「食事の直後に入浴しても大丈夫ですか?」みたいなどうでもいい質問ばっかりだった。マカロニは麺類だそうです。本当か知らんけど(なんであのときそれが知りたかったんだろうか)。

 ブックサロンの講師も赤提灯のお店への挑戦も、新しいコミュニティに入っていく勇気に溢れていてすげえと思いました。金子の身軽さ、いつもかっこいい。そういう偶発的な出会いで自分が作り変えられていく経験って、歳を重ねるほどありがたく、気持ちがいいなと思う。
 この間の国際女性デー、「ビキニマシーン」という歌舞伎町のバーで店番をやって、夜から朝までお客さんと喋り続けてました。突発でやったんだけど立ち飲みの人が出るくらい満杯で、超〜うれしかったな。本当にいろんな人が来た。私の本を読んでくれた人、年齢の近いアクティビストを求めて会いに来てくれた人、ウィメンズマーチ帰りの人、武蔵野五輪弾圧裁判(五輪セレモニーに抗議して爆竹を投げ込んだ運動家が逮捕された事件)の関係者まで(ビラもらった)。あっちこっちで人と人がその場でエンカウントして喋ってるのを見てると、全部に混ざりたくてわ〜〜!(喜)ってなりました。全員何話してたか教えて!!って感じ。
 始発が出る朝5時まで7、8人残ってくれて、夜明けまで過ごしたんだけど、やっぱり身体はきつかったです。特に目(次から夜なべするならメガネ持っていく)。もう徹夜とかできる年齢じゃないっぽい。でも人生で常に今が一番若いので、徹夜しといてよかった。朝四時くらいに「人間関係における依存はどのように発生するのか」だの「最近流行ってる某漫画の作者がどの同人ジャンル出身だったか」だの、なんか変な話題で盛り上がりました。
 ただ課題も多い。自分はそれなりに社交的だけど、どうしても人を選んでしまうところがあって、さすがに内輪っぽくなってしまったかもしれない。こういう「私が中心になってしまう場所」にはただでさえ問題が多いので、次回からはもっと知らない人に声をかけるようにしたいな。あとは場所がバリアフルだし、分煙も難しい狭さだし、どうしたってバーだから酒メニューの方が多いし、あと安くないし、って感じで、場所の問題もあるね。ビキニマシーンにはまたすぐに立ちたいけど、ビキニマシーン以外の場所も作っていきたいところです。誰か、どこか融通してくれないですか!
 なんかやっぱ社会運動の話をシェアできるところって少なすぎるんだよね。前にVRChat(VRのアバターを使って交流できるプラットフォーム。VRの機材がなくてもそれなりにちゃんと動くPCがあれば遊べる)で知らない人と話してて、左翼なんですよねーって言ったら「え? なんか怖いですね」って言われた。でもこれが「普通」なんだろうなあ。その認識をどうひっくり返していけるのかって考えたとき、やっぱ文章だけだと追いつかなくて、ほかにもやるべきことっていっぱいある気がする。そういう意味では、金子が人でないもののことをいっぱい考えて映像を作っていることは私にとってすごく救いだし、可能性の塊に見えます。同じメッセージでも違う言語なら伝わることがある。だからいろんな考えの、いろんな話し方の左翼がいるのって、超大事。「連帯」も「協働」も自分にとってはかなりうさんくさい概念になりつつあってすごく難しいのだが、それでもバラバラな場所で、たまには力を合わせたりもして、波を作っていけたらいいな。

 勉強ももっとしたい。話が冒頭に戻るんだけど、『チ。-地球の運動について-』はまさに知性とその継承についての物語だった。天動説が支配的だった世界で地動説を証明しようとした人たちと、その知を権力から守って世に広めようとした人たちが順番に主人公になっていく。ところどころぐさっと刺さる言葉が出てきました。「倫理は迷いの中にある」とか。差別を受けながらも学問の道を志す女性天文学者・ヨレンタが特にいいなって思った。
 ただテーマは好きなはずなのにドンピシャに私のための物語!とは思えなくて、それは多分、登場人物が真理のために命をかけて実際に死んでいく場面が、あまりにも美しく描かれていたからだと思う。知には歴史があり、それを継いでいくのは決して歴史に名前の残る人だけじゃないんだ、という物語の姿勢や、この世の真理を求める人に感化されてたくさんの人が揺れ動いていく群像劇はとても魅力的だけど、やっぱり「知の継承のためなら死んでもいい、あるいは、死んでも満足」という人ばかりが出てくるのは恐ろしかった。
 あと、やっぱり知がどうしたって権威になってしまうことについて作中で明確な批判があったのはすごくよかったんだけど、それがセリフ以外の部分で機能しているかな?とやや疑問に感じたかも。どうしても神学に基づいた天文学を擁護する人たちが愚か者に見えてしまう構造は、最後まで崩れないからだ。前近代の人々にとって生活世界と宗教がいかに不可分だったのか、それがなぜ逃れ難い権力だったのか、というところは、もっと詳細に描いてもよかったんじゃないかなあ。
 自分の学びがどういうものだったのか、今になっていろいろと考えます。私は大学と大学院に合計10年もいたけど、本当に、何も知らないようなものだなと思う(謙遜でもなんでもなくそう)。結局なんのプロフェッショナルにもなれなかったし、そこについてはきっと一生コンプレックスとして引きずっていくんだろう。
 ただ、中途半端な立場、つまりアカデミシャンの世界も会社員の世界もフリーランスの世界も知っていて、(時間や労力の比重は偏っているにせよ)それらにちょっとずつ身を置いている/置いてきたことは、何かの役に立つと思いたい。YUKIの「ハローグッバイ」という曲に「私が見てきたすべてのこと/無駄じゃないよって君に言ってほしい」という歌詞があって、それをよく思い出すよ。私もいつか、自分がやってきたことは全部無駄じゃなかったって確信できますように。金子も、金子の奮闘が答え合わせみたいにぴったりハマる日がきっと来るよ。そういう祈りを重ねて、どうにか這っていくんだろう。

 では長くなってきたので、今回はこのへんで。
 花見も鎌倉案内もぜひしたいので、都合はのちほどLINEします!

高島鈴

追伸:人生の出囃子プレイリスト
●春ねむり「生存は抵抗」
→私のスローガンが使われていて、デスボイスがかっこいい。ねむりさんが作る音楽はちょっと危ないくらい私とのシナジーがありすぎて、いつも距離感についてはかなり気にしている。

●Kamui「KANDEN feat.ゆるふわギャング」
→Kamuiの攻撃的に生き急ぐ姿勢にはいつも救われている。前に私が登壇したイベントにご家族と一緒に来てくれたことがあって、本当にその場で泣いちゃった。

●Ilaria Graziano「I Can’t be cool」
→冷静でなんかいられないよね。攻殻機動隊のサウンドトラックで、かなりアナーキーなことを歌っている。「Cyber Bicci」というアルバムに入っているのだけど、この〈オンラインで誰とでも繋がってしまう悪い女〉というニュアンスのタイトルにも痺れる。

●栗山千明「コールドフィンガーガール」
→浅井健一と栗山千明という奇跡のコラボ。歌詞にはひっかかりもあるけど、栗山千明の声の強さはず〜っと大好き。

●lily chou-chou「エーテル」
→MVしかなくて曲だけの配信がない。でもあらゆる曲のなかで一番好きかも。

●NENE「地獄絵図 feat.NIPPS」
→「バケモノみたいに怒り狂ってる/こんな女は最初で最後」! 最高のセルフボースト。

●ASIAN KUNG-FU GENERATION「夜を越えて」
→ここで終わりじゃないよね、また始めるしかないからここにいるんだよね、って聴くたびに確認できる感じがする。大好き。

金子由里奈(かねこ・ゆりな)
1995年、東京都生まれ。映画監督。
立命館大学映像学部卒。立命館大学映画部に所属し、これまで多くのMVや映画を制作。
自主映画『散歩する植物』(2019)が第41回ぴあフィルムフェスティバルのアワード作品に入選。
長編『眠る虫』はムージックラボ 2019でグランプリを獲得。
2023年に『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が公開。

高島鈴(たかしま・りん)
1995年生まれ。ライター、パブリック・ヒストリアン、アナーカ・フェミニスト。
著書に『布団の中から蜂起せよ』(人文書院)、共編著に『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)がある。
現在は小説「ゴーストタウン&スパイダーウェブ」(太田出版)をWeb連載中。

往復書簡
『底に見えるあかり』

高島鈴・金子由里奈

一通目:2024年10月16日
お元気ですか? 私は病気です。

二通目:2024年11月12日
私は表層は元気です!

三通目:2024年11月19日 ※公開終了
祈りは無力じゃない

四通目:2024年12月25日 ※公開終了
しゃがみ年

五通目:2025年2月21日 ※公開終了
どんな罪を犯した人間だって存在を否定されていいと私は思わない

六通目:2025年3月9日 ※公開終了
ベンキョは続く

七通目:2025年3月11日
「いつになったら私って落ち着くんですか!?!?!?!?」