8通目:2025年5月7日
「Blowin' in the Mind」
りんちゃんへ
また映画の企画が落ちた。絶対面白いのにほんまおかしいで。って気持ちでフィードバックもらいに行ったら普通に己の実力不足で頑張ろ!な気持ちになった。死ぬまでに撮りたい映画だーーー! 最近、死ぬまでに映画をあと7本は撮りたくて、色々間に合わなくなってきてのたうち回っている。数年前と違うのは一緒にのたうち回ってくれる仲間がいるのが結構素晴らしいことだわ。呑気。呑気に本気。はー。何もわからん。なんもわからないからウーバーイーツしよ。りんちゃんのいう、奮闘が答え合わせみたいにぴったりハマる日待ってろよ。
ボイチャに入る。明るいドアの音が開いて、りんちゃんが入ってくる。やほー。そこに居るということに励まされる。「お茶しに行っていい?」と聞くと「いいよ コーヒーあるよ! 部屋はめちゃくちゃ汚い」と言ってくれてウーバーで届いた麻辣タンメンをうまいうまいと一滴残らず消し去ったあと、自転車を走らせた。風が! いい! ありがたいな。風は私の実存を了解する。壁には友人のボムがあっていつも「よっ」ってする。この通りの緑は人間の手がしばらく介入していない。人間が介入しない植物は放っておくとすぐ恐竜みたいになり、理解をぴょんと飛び越える。植物が好きだ。
NHKの『ドキュメント72時間』、大好きな番組で、もしどこかで撮影クルーに遭遇したらどうやって対応しようかシュミレーションしてるくらい大好きなのね。りんちゃんみたことある? 場所を72時間取材して、そこに生きる人々を切り取る番組で、人間の視線ってどこまでも己のみの宇宙で、他者で、みんなその生を生きていることに毎回打ちのめされる。この前みた回の舞台が「植物園」で、それに登場した人がもれなく全員「視線人」で感動した。植物が成長する様子を「どこで捕まえるか」という人や、「景色を見てると景色の方からいいでしょ?って言ってくる」とか、植物を指さして「この植物は積立NISAしてる」など解釈を述べる人などたくさんいた。植物は視線人を集めると思った。
りんちゃんは花が苦手だったよね。当時はまあ、そういう人もいるかと思ったくらいだったんだけど、あなたもしかして植物の怖さを知ってる方だったんですか? りんちゃんと植物のことを色々聞いてみたいな。植物って、ほんとうに怖い。わたしはその怖さや理解不能なところがとにかく嬉しいんだけどね。←えっと、なぜ……
わたしと植物はどういう関係を紡いできたっけ、と振り返ると3歳くらいで「葉っぱはいのち いのちがある」という自作の歌を歌っていたらしい。その後に続く歌詞は「ありもいのち いのちがある」なのに、ありの行列を見つけて踏み潰して保育園の先生を怯えさせていたみたい。この引き裂かれ、最初からめっちゃ自分だ。今はあり、殺しません。(何の弁明?)その後、川端康成のなんかの本に「朝4時も植物は起きてて怖かった」(マジでなんも覚えてない)みたいなこと書いてあって、衝撃が落ちた。観測されてなくても植物はそこに存在し続けることを初めて意識した。で、大学の時に自分の視界を急に疑い出して、植物ってみどりじゃなくてみどりに見えてるだけでピンクかもしれないと何故か思い立ったことがあったんだよね。そこから植物が宇宙人のように見えてきた。ある雨上がりの日、京都の植物園をソウルメイトと歩いた。蓮の葉に乗った水滴が風の翻訳をしている様子を見つけて、ああ、地球だ。と、ふたりで目をまんまるにして、あっちの植物もこっちの植物もと移動しながら見て、そしてわたしたちは移動しながら観測できる地球人だと思ったの。こう振り返ると、植物がわたしを人にしていったのかもしれない。落ちた企画ももちろん、植物の話……。植物の映画が撮りたい人はわたしまで連絡ください。
あ、でね。ドキュメント72時間は予定調和じゃないとか謳ってるけどもちろん構成は存在する。映画の終盤で必ず死の気配があるように、後半で「人生」っぽい人が登場する。人生ってそれぞれあるけど、電車の隣の席の人が「人生」を表現はしたりしない。でもたまに、しゃがんで号泣してる人とか、喪服の5人組とか、本を閉じて車窓を見上げる人とか「人生」を表現してる人がいる。そういう感じの「人生担当」がドキュメント72時間にもいる。ここで使われたいのか? いや、そうじゃない。わたしが担当したいのは松崎ナオの『川べりの家』が流れだす直前、軽めというか「明日」を想起させる描写たちがあるんだけど、私はこの「明日」担当で使われたい。72時間ファンであることは言わないでおこうと思っている。でもこの自意識がある時点で使われなさそうだが。
久々のりんちゃんちは本が床から生い茂っていた。それで私はまた企画が落ちた愚痴を聞いてもらって、そしたらりんちゃんは「もっと意味不明になろうよ」と言ってくれた。「それ何色!?って光り方しかしたくない」って言っててあなたかっこいいよ。痺れます。確かに、最近「意味」に追われすぎていた。10年前はそんなこと意識もしてなかった。「映画」に縛られることもなく、なんかおもろかったら体を動かしていた。去年、色々賞をもらってから意味に捕まり、己から意味を探すようになっていた。ありがとう。わたしは意味爆破し、意味不明存在として生き直すのだと清々しい気持ちになった。早くポッドキャスト録ろうね。てか、記憶違い上手すぎてすまんしりんちゃんからもらった「記憶違い」はわたしの肌によく似合う。
りんちゃんってほんとに他人が好きだよなあと話を聞いていて思う。他人の話をしてる時エネルギーが迸ってそれを放出するために手がたくさん動いている。挙動が変とは思ったことなく、なんかきらきらしている。生き生き現在。一方で、りんちゃんは自分の生への罪悪感がある。それはりんちゃんが、他人が好きで他人のことをよく考え、努力の知識があって、何も知らないと言えるほど勉強熱心で、誠実さがあり、構造を見つめる観察力があり、やさしいから。でも、他人だから言わせてもらうけど、りんちゃんは大丈夫だ。あなたの書く文章はこの世界の存在だし、文章を書いていることこそがあなたの生で、誰かの生になっている。でも、どうか、その極限まで熱した鉄のような罪悪感を息継ぎのようにでも手放せる瞬間があればいいと願う。
昨日はバイトで、利用者さんちにつくとすぐに「憲法大集会行くよー」と玄関からヘルパーさんの声が聞こえた。憲法大集会!? 金子聞いてない。初憲法大集会。りんちゃんからもらったクーフィーア持ってきたかったわ。利用者さんはすばやく動き出して外出する気満々。車椅子でバスに乗る時は、バス停から道路の方に少し身を乗り出し運転手に目を合わせに行って、「乗りますアピール」しないといけない。乗り継いで会場に向かう。車内には恐竜に会いに行くという子供が何人も乗っていた。ゆめかわなお洋服を着ていた子供が腰に手錠をぶら下げていて思わず二度見。窓から見える景色。あれ、見覚えがある。ここ数年前に『眠る虫』の撮影をしたところだ。たぶん。流れる景色が心を想いにしていく。あれから6年経った。お世話になった大学の教授も、りんちゃんも、街も、わたしと等しく6年歳を取った。まわりの友達が生きている。おじいちゃんは死んだ。新しい映画が公開され、新しい映画の準備をしている。車窓から見える工場では今も人が働いている。心がざわめいて呼吸を意識する。感慨を深くすること、好きだわ。不安で充満しているわたしの心に捉え直した人生が酸素を送る。ふー。すー。
会場付近では至る所に警察が散らばり、護送車が何台も停まっていてものものしい雰囲気を演出していた。「戦争しない」という意思は過激でもなんでもねえだろうがよ。右翼の街宣車対策か。そんな警察に「チョコあげる」と断ってるのにしつこく絡みに行っている左翼がいてそれも嫌だった。
人がたくさんいる。若者や子供も結構いる。露店やキッチンカーが並び、お祭りみたいな雰囲気だ。親パレスチナのブース、ミャンマーの支援ブース、分離教育ではなくインクルーシブ教育を訴える人たち、核兵器廃絶を訴える高校生たち。最近は悲しい表情が目立っていたTさん(利用者さん)だけど、戦争のない市民の生活を考える人たちが集まっている場所は心地よいみたいで、とてもご機嫌。にこにこと笑っている。
歩いているとTさんはよく人に話しかけられる。昔からいろんな活動をしてきているらしい。最初は舞台の前まで行ったが、日差しが元気すぎたので日陰へ避難。
ヘルパーのAさんが「Mさんが幽霊になって来てるね こういう集会には必ずきてたから」と言う。集会に参加する幽霊を意識したことがなかったので原っぱを見渡すと確かにあの木の下あたりとか妙な空間があり、たしかにいそうと思った。死んでからもプラカを掲げ続ける人がいるがひとりでも減るために、やっぱ生きてる者たちがやってかないととも思う。
高井ゆと里さんの声が聞こえる。このスピーチが素晴らしく生で聞けてほんとうによかった。読者にも知ってもらいたいから一部を引用します。
「私はトランスジェンダーです。生まれた時は今とは違う性別で生きるようにわたしは社会に運命付けられてきました。物心ついた時から生まれる人生を間違えてしまったと。死んでしまいたいとよく思っていました。今でこそこうして自分の生活と人生を取り戻しましたけれども、まだまだ私たちを取り巻く環境は厳しいものです。L G B Tの人権はまだまだ損なわれている。S N Sをひらけば私たちに対する罵詈雑言が飛んできます。デマやフェイクに流されて多くの人たちが私たちへの憎しみを滾らせている。国内外の保守政治家もそうした憎しみを利用している。外国人に対する差別を利用するように。今のトランスジェンダーに対する差別が保守政治家の道具になってしまっている。でもわたしは希望を捨てていません。2023年10月25日、日本の最高裁判所は私たちトランスジェンダーが戸籍の性別を変更するためのルールを定めている、性同一性障害特例法に憲法違反であるとの判断を下しました。戦後12例目の違憲判決でした。そのおかげで私たちは、私のように生きる人たちは、精巣や卵巣を手術で除去していなければならないという、この恐ろしい条件から解放されました。憲法は生きていると思いました。人口のたった数%しかいない私たちの人権を憲法は守っていると、忘れていなかったんだと実感をしました。だから今日私はここにきた。日本国憲法の元で平和な社会を受け継ぎ、人権の理念をアイヌの地から琉球の地まで推し進めるための戦いに連なるために今日私はここにきました。」
「憲法は生きている」という声が反芻する。憲法という根は、現代の空気と水と言葉に応答する。そういう可能性を持っている。改憲に先んじてこの憲法を実現するためにやるべきことがたくさん、たくさんあるはずだ。自民党の憲法改正草案、初っ端から怖いけど、13条「すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」が「すべて国民は、人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」になっていることに強い危機を感じる。音のないすり替え。秩序って言葉の入れ方、怖すぎんだろ。何が「秩序」でその「逸脱」とはなんなのか。この曖昧な「秩序」が前景化されるとき、国家は暴れ排除を生むかもしれない。『檻の中のライオン』で、憲法は国家を「檻」に入れるためのものだと表現されているけど、その檻の存在が今こそほんとうに必要なものだと感じる。
あと、よく9条に対して、現実の国際情勢からすると非現実だろみたいな批判があるけど、私は9条という物語を信じたいし、えんとつ(まだ生まれてきていないものたちのことを「えんとつ」と呼んでいます)たちにこの物語を提示したい。軍事的なリアリズムの中の摩耗はあっても、この「人を殺さない」という態度は守りたい。人だし。
集会後の行進は行かずに、Tさん、Tさんの両親や仲間たちと呑みに行く。運動に関わる人の信頼し合ってる雰囲気があったかい。芋の揚げ物が美味しい。その中で農家のSさんが「集会は老人ばっかになっていくねえ。戦争になったら鉄砲持つのは俺たちじゃないからこそ、こんなに騒いでる」と言っていた。バイト中だから酒は呑まなかったので、呑むぞーな気分が顔を出し、いいですね。このまま、バー高島に行っちゃおう。
行ったら知り合いたくさんいた! この日のりんちゃんイカつくていけてたわ。人を殴れない指輪をしていたね。あなたの引力で集まる人間、みんなおもろい。
なんか、非人間に対して、人間はどこから演技するのかみたいな話をしたりした。めだかとかは演技の萌芽が生まれ、犬は普通にするし、雑草は……しないんじゃないかみたいな。確かに、わたしはラー油に向かって演技をしたことがない。これはりんちゃんにもぜひ意見を聞いてみたい。
ずっと楽しかったのにすぐ21時になっちゃったから(ご存知のように私は寝るのが早いので)眠くてあんまり覚えてない。アラサーのわたしとせいらちゃんで60歳まであと5日しかないよねという話で意気投合していると、隣にいた松村さんが「てことはわたしはあと7日くらい?」と焦り出して。アラサーたちで「あと7日もあるよ!なんでも出来る!」と励ました。てか自分のことアラサーっていま初めて言ったかも。なんか23くらいから記憶ないので、アラサーとか思ってなかった。
最後になりますが、人生の出囃子ソングむずいな…。最近はずっとラジオで音楽をあんまり聞いてないのだよねん。でも2025年、繰り返し聞いてる曲はもちろん、あの曲!それでは聞いてください。
森園わかなで『Blowin' in the Mind』
金子より
ぬいしゃべの話がいつ出てくるんだろとドキドキしながら読んでたけど出てこなかった。
・『〈寝た子〉なんているの? ー見えづらい部落差別と私の日常』
重要なことがたくさん書かれている
・オリヴェイラ『訪問、あるいは記憶、そして告白』
言ってることはよくわからないおじいちゃんだけど、視線で挨拶ができる。
・配信で観た『陪審員2番』
←これ結構りんちゃんの感想気になる
・利用者さんの家で見た『対岸の家事』
人は人に迷惑かけてこうぜ!という気持ちになる。
・ナッツ屋自慢の味噌ごまアーモンドふりかけ
・チ。ではオクジーくんが好き
金子由里奈(かねこ・ゆりな)
1995年、東京都生まれ。映画監督。
立命館大学映像学部卒。立命館大学映画部に所属し、これまで多くのMVや映画を制作。
自主映画『散歩する植物』(2019)が第41回ぴあフィルムフェスティバルのアワード作品に入選。
長編『眠る虫』はムージックラボ 2019でグランプリを獲得。
2023年に『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が公開。
高島鈴(たかしま・りん)
1995年生まれ。ライター、パブリック・ヒストリアン、アナーカ・フェミニスト。
著書に『布団の中から蜂起せよ』(人文書院)、共編著に『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』(現代書館)がある。
現在は小説「ゴーストタウン&スパイダーウェブ」(太田出版)をWeb連載中。
『底に見えるあかり』
高島鈴・金子由里奈
祈りは無力じゃない
しゃがみ年
どんな罪を犯した人間だって存在を否定されていいと私は思わない
ベンキョは続く
「いつになったら私って落ち着くんですか!?!?!?!?」