第二話
いい死後

 食べたらなくなるのが悲しかった。
 食べ物として無くなる、というよりも、食材という生き物をいま、私のせいでなくしてしまう、というのがずっと悲しかった。

 幼い頃、りんごを食べている時にいきなり気づいて、それ以来食べ物の生前を考えるようになった。
 結局その時は、噛み潰されたりんごたちが胃で再会する、みたいなストーリーを考えて食べた覚えがある。

 毎回全てつぶさに考えるわけではなかったけど、食事は楽しいものではなかった。というかあまり美味しくなかった。私が食べるのが遅すぎるせいで、母親は怒ったり悲しんだりして色んな脅しをかけた。
 母親とテーブルにつかないでよく、生前の心配もあまりしないで済むので、お菓子が好きだった。

 私はぼんやりした子供だったので、人間だから色んな生き物を食べ物にできるのか、と気づいたのはずいぶん遅かった。
 それから食事をほんとうに美味しいとわかるようになった。
 人間は人間以外の大体を食べられる。私は鳥類が好きだから、たとえば、鶏自身も知らない鶏の臓器を見て、硬さを知って、焼けたらどんな風になるか、舌触りを、味を知ることができるのは、人間の身体を持っているからだと思って、嬉しかった。一日何百万羽も殺されるなら、せめてこの一羽に向き合おうと思って食べると、美味しかった。

 とはいえ、生前の心配をしなくなったわけではなかった。
 そのうち、自分がこういう風に調理されるなら、と考えるようになった。身を薄く切られて頭と尾鰭を添えられる。粉々になって他の動物と混ぜて焼かれる。もう痛みがないなら、良かった。良かったのかなあ。味付けなら、折角ならソースよりも塩のほうが素材の味がわかっていいな、とか考えたりした。

 食べ物は、死後の世界だ。生きていてはあり得なかった出来事たちが気になるようになった。
 波に触れたことのない、きっと海という存在を知らない鶏が、ささみになってわかめの上に寝かせられる。ずっと丸まった身体で生きてきた海老が、真っ直ぐになって揚げられる。
 私は食べ物にされたことがないので勝手に言うしかないけれど、食べる側として、出来ればこのことをマイナスに取り過ぎずに受け止めたかった。というか、そう折り合いを付けることにした。

 今はずいぶん食べるのが速くなったけれど、肉のついた生き物が食べ物になっているとどうしても生前のことは考える。
 そしてこれが出来ればいい死後でありますようにと思いながら食べる。


会うことのなかった四羽の心臓が一つに刺されて完成している



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鳥さんの瞼(とりさんのまぶた)

歌人。
2024年に第一歌集『死のやわらかい』を点滅社より刊行。

『貝殻の指』
鳥さんの瞼

第一話:
短歌は私を救わない

第二話:
いい死後