第一話
短歌は私を救わない

 短歌は気が紛れやすいからやっている。
 自分ではどうにも出来ない悲しみや倦怠のなかにいて出来るのは短歌だった。

 短歌では同一視されやすいけど、作者と短歌の中の主人公は同じではない。
 だから、短歌の中で人が死んでいても、実際に人が死んだというわけではない。
 でも、私はもし周りの人が死んだら、それを短歌に書こうとすると思う。

 自発的に短歌を作りたいと思う時は、たいてい悲しかった。私は悲しいことを何回でも思い出してしまいがちで、いつも言葉に頼ろうとした。
 それで「お母さんに幸せでいてほしかった」とか、「二度と会えない人をずっと覚えていたい」とかで、いくつも短歌を作ってきた。
 その中には良い歌もいくつかあった。

 勿論、悲しみや苦しみで作品が良くなるとは限らない。
 苦労したから、作品では良くなれる……という補填は、ない。関係がない、報われてほしくても。元気な方がいい。
 もし神様が私に、短歌を作らなくても良かったように作り変えてあげましょうと言ってくれたら、頷いてしまう。
 でも神様は来ない。

 いつかの短歌賞の受賞作品を見て、ある方が「希望がありますよね。凄い経験をしていなくても、詩の能力だけがあれば受賞できるのは。」といったことを話されていた。過去に、珍しい職業や、凄まじい経験、トラウマなどを題材にしているような作品が受賞していたこともあったから、それを鑑みて言ったのかもしれなかった。確かにそうだ、と思った。

 でも私は、辛いことから素晴らしい作品が作れるのなら、それだってすごく希望だと思う。
 極端な話、詩の能力と辛い経験なら、手に入りづらいのは多分前者だ。頑張っても詩の能力は充分に手に入らないかもしれない。一方で望まなくても手に入ってしまうのは辛い経験のほうだ。
 いつまでも消えない悲しみが、たった一つでも美しい作品になってくれるならどれだけ嬉しいだろう。

 政治にも医療にも助けられない領域が人にはあると思う。どんな相手でも頼れないことがあると思う。その中でささやかに寄りかかろうとするのが短歌なのは、悪いことじゃないはずだ。不健康かもしれない。抜本的な解決ではないけど、でもこの世には解決できない悲しみの方が多いから。

 短歌は私を救わない。
 生きてほんとうに私を救うものはない。
 それなら願いたいし信じたい。どうせ出る血なんだったら時にはその赤色を綺麗と思いたい。
 無限の悲しみが、たまには奇跡を起こしてくれたら。切実さや願いの深さの選ばせる言葉が、私の中にあればいいな、と願う。


おかあさん大好き ひとりで母になる前のあなたを助けたかった




鳥さんの瞼(とりさんのまぶた)

歌人。
2024年に第一歌集『死のやわらかい』を点滅社より刊行。

『貝殻の指』
鳥さんの瞼

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短歌は私を救わない